「瞬間移動」

木々

僕の兄は、瞬間移動ができることを自慢にしている。

とはいえ、それを使うことはめったにない。

長時間、意識を集中させて唸り続けなくてはいけないからだ。

 

疲れる上に、移動が成功する確率もさして高くないと言う。

願っていた場所とは違う場所に飛ばされてしまうこともあると言っていた。

 

修行を積めば、もっとスムーズにもっとハイリターンになるらしい。

でも兄は怠け者だから、そんな仙人みたいなことはできないだろう。

 

ある日、兄は彼女に技を披露しようとしていた。

彼女は、兄の瞬間移動をまだ一度も見たことがない。

 

兄は説明を始めた。

「今日は、この家から、学校の校庭にワープしようと思うんだ」

「ほら、放課後の部活動をしている生徒がたくさんいるだろう?」

「俺がそこにいることは彼らが証明してくれる」

 

兄は学校の方角を指さす。

彼女の表情は芳しくない。

 

彼女は言った。

「それだけじゃ、わからないでしょ? 口裏を合わせてるのかも」

 

なるほど、その主張はもっともである。

「そうか……昭弘、どう思う?」

 

「え? えっとぉ……」

道端の地蔵を決め込んでた僕に急に話が振られた。

「じゃあ、スマホも持っていけば?」

「そこで周囲の景色が見えるようにビデオ通話するとか」

 

「いいな、それ」

兄はすぐさまスマホを取りに行った。

兄が見えなくなったところで、彼女は大きくため息をついた。

無理もない。彼女は、兄が瞬間移動をするなんて信じていないのだ。

 

「よし、始めるぞ」

部屋から戻ってきた兄は、すぐさまそれに取り掛かった。

 

いつも見ている僕にはすぐにわかった。

意識を集中しているのだ。

 

そうして、自分の行きたい場所を強く念じるのである。

うんうんとあげていた唸り声が徐々に高くなる。

見ているだけなのに、こちらまで手に汗が滲んでくる。

 

周囲の空間が歪んでいるような錯覚にとらわれる。

これも兄の特殊能力なのだろう。

 

しばらくして、兄は唸るのをやめた。

十分くらいだろうか。その時間はとても長く感じられた。

兄は額に浮かんだ汗をぬぐい、目の前の二人を交互に見た。

 

「今日は駄目だったらしい。すまない」

 

「私、帰るね」

間髪入れず、彼女が言った。

 

「え? あ、待っ」

「じゃあね」

彼女は、靴を履いて出て行ってしまった。

居間には兄と僕だけが残される。

 

「残念だったね」

なんと声をかけてよいものかわからなかったので、適当に無難だと思ったことを言っておいた。

 

「……ああ」

兄はショックが大きかったようだ。

 

その日はそれで終わった。

 

あれから数か月経って、兄が彼女と別れたことを風の噂で知った。

情報はそれだけだったが、おそらく、彼女のほうがフったのだろう。

 

兄は落胆した様子を見せなかった。

家族に気を使ったのだろう。

そういう人間なのだ。

 

兄は今日も修行もせずに家でゴロゴロとしていた。

 

ちなみに僕も彼女と同じく兄の瞬間移動を見たことは一度もない。

この物語はフィクションです。 実在の人物、地名、団体などとは関係がありません。

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